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足だけ動かす

 何か約束をしていながら、当日になると行きたくなくなることって、よくあるのではないかと思う。そんなに頻繁でなければ、日常に支障をきたすほどのこともない。かつては私もそんなドタキャンしがちなひとりだった。理由をつけては断って、断るとほっとした。だからといって相手が嫌いなわけではなく、他者と接すること自体が気重になってしまうのだ。

 そもそもなんでこのようなことになるのか。「あまり気が向かないがノーが言えなかった」というのがある。断ったら嫌われてしまうのでは、といった不安感もあるだろう。ノーが言えないってことは、上手な断り方を練習していないことでもある。それ以前に自分がどう感じているかをはっきり感じられないということもあるかもしれない。

 以上のように人様にはわからない事情が自分の側にあったとしても、約束したのは事実だし、断るためにうそも重ねていくし、ドタキャンばかりをしていても、そういう自分に疲れるのが関の山である。

 ある約束の当日のこと。いつものように私はどうしても行きたくなくなって、断るためにその相手に電話をかけた。私が、
「あの、今日なんですけど」といいかけると、そのひとはすかさず
「行きたくなくなったんでしょ?」
と明るい口調で返してきた。
「なんでわかるんですか?」
と思わず正直にきき返した私にそのひとは、
「そういうときは、足だけ動かすといいですよ」と変てこなアドバイスをくれた。
「みぎ、ひだり、と足に任せて来てください」と。
私は言われたとおり足だけ動かして、時間通りに約束の場所に行った。

 はじめて断ることに失敗した私は、約束を守ることができただけでなく、
「でがけの気うつ」の対処法を与えられ、今でも重宝している。足が動くのにまかせるのは、簡単にできるだけでなく、緊張しながら嘘をついて断る気まずさもないので、ドタキャンするよりむしろ楽で後味がいい。自分の言葉と行動が一致していくのは気分がいいものだ。

 ずいぶん年月が経ったが、あれ以来嘘を方便に使うことが激減した。約束したら本当の病気でもないかぎり後で断る必要がないからだ。ちなみに
「足だけ動かす」の発展形が「案ずるより産むが易し」で、最近はそちらも大分使うようになった。やってみなけりゃわからない、と自分をその気にさせている。まだ稚拙ではあるが・・・。


シリアルとパラレル

 パラレルに暮らすことを意識するようになったのは割と最近のことだ。詳しい説明は先達に習うことにして、簡単にここで使うシリアルとパラレルについて説明しておく。

 シリアルは、連続して・次々にという意味で、コーンフレークのことをシリアルと言うのは、ざらざらと連続してでてくるからだ。勉強の仕方に例えると、社会の教科書一冊終わったら国語をはじめ、国語が一冊終わったら英語をはじめ、英語が一冊終わった時点で数学を始める・・・といったやり方。もし国語で手間取ったら数学は手付かずのまま先のばしになるかもしれない。

 パラレルは、同時進行。上記の科目全てを一日に少しずつ勉強する。学校の時間割もそうだ。ここではうっかり科目と勉強なんてうんざりするものを例にとって悪かったけど、毎日複数のやりたいことを少しずつ同時に続けることができるやりかたである。

 飽きっぽい人にはパラレルで暮らすとメリハリがあって気分が変わることを楽しめて、性格を活かせるかもしれない。

 逃避に走る人(私)も、パラレルで暮らすと、試験勉強から逃げたいがために、この漫画を読み終わったらしようとか、新しいゲームをしてからとか、四の五の言わなくても、ブレイクタイムに漫画やゲームを時間を決めて入れるだけで、少なくとも一夜漬けの修羅場は避けられるだろう。ちなみに一番やりたくないことをまず先にやってから好きなことをやるのがいいらしい。でも私はそれが苦手である。だから勉強(=やりたくないこと)の録音を聞きながら、手芸(=すきなこと)をしている。


 
人生を、例えば仕事一筋、家のこと一筋、テレビをみること一筋で楽しければ文句なしなのだが、それだけではむなしいと思っている方には、パラレルな暮らしは自分の別の面を開拓するきっかけになるかもしれないし、空いた時間をつかって何かにチャレンジしたり、複数のわらじをはくことが生きがいになるかもしれない。

 苦しかったり、さみしかったり、病気との付き合いが長くなると、生きているのは容易ではないが、ハンディがある場合にもパラレルな生き方はきっと喜びをもたらす。苦悩の多い人生であっても四六時中苦しんでいなければならない訳ではない。一方でその人なりの喜びや有意義な営みを同時進行させることができる。影あってこその光のまばゆさは人生を意味あるものに感じさせてくれるだろう。




「パラ→シリ変換」「シリ→パラ変換」
 
人間はとかくシリアルにしたがる。「1つのことをやり遂げられずして他のことができるか!」とよく大人は言ったものだ。しかし、1つのことをやり遂げるまで他のことをしない人生は、想像しただけでヤバい気がする。何もせずに人生終わりのゴングをききそうだ。たとえば、「嫁さんを食わしていけるだけの男になったら彼女と結婚する」などと正当化して待たせているうちに、彼女はいっこうに伴侶になれない関係に絶望して去ってしまうかもしれない。失いたくなかったら、けじめがつかなくても前へ進め!である。
 
 基本的には人生をパラレルですごしたいが、場合によってはシリアルになる必要がある。試験直前とか、冠婚葬祭とか、集中的に取り組まないと無事に終わらない時は、パラレルからシリアルへ切り替える。他のことは中断して今すべきことだけに集中する。一段落ついたらまたパラレルに戻せばいいのである。
 
 考えてみると、こまごましたパラ→シリ&シリ→パラ変換を一日のうちに何度も繰り返しながら人は生活しているともいえる。洗濯機をまわしながら皿を洗いつつ、頭の中では全く違うことを考えている時もあれば、自分を呼ぶ声にも気づかないほどひとつのことに集中している時もある。でも、両手で大きな物を抱えて階段を下りる時にパラレルは危険だ。他のことを考えていたら、階段を踏み外して痛い目にあうかもしれない。眠るつもりが思考が巡って寝つけない夜に、小難しい本を開いてまもなく眠りにおちたなんて話は、シリ→パラ変換のとてもありがたい成功例だろう。
 自分なりのパラ→シリ&シリ→パラ変換で機嫌よく暮らしたいものである。







 
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