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全体を見よう

 当然だが、私は私にしかなったことがない。アニメやドラマでは、何かの拍子で二人の人間が入れ替わる、なんてストーリーがよくあるけれど、他の人になって見た世界はどんななのか?という永遠の謎がそういったフィクションを産むのだろう。
 
 アニメやドラマのように、もし他者と入れ替わることができれば、その相手になるわけだから、相手の感覚をありありと直接体感できる。しかし、実際の私たちは、あらゆる情報を自分を通してしか受け取れない。自分が見ている世界は誰にとっても確かで疑いようがないために、ひとは、他者も自分と同じ世界にいると思いがちであるが、自分の見えと他者の見えは同じではない。私たちは、自分と同じように他者も物事を見ていると思って暮らしている。
 
 自分でしかいられない私たちが、主観で思考し、自分自身に意識が集中するのは当然のことだし、だからこそ内省という人間らしい作業もできる。しかし、ともすると、自分でしかいられないということは、自分が一人で存在しているような感覚にもなりやすい。内へ内へと視野も狭まりがちである。人間が他者との関係性の中で生きている存在であることを、たまに意識して思い出してあげると、部分から全体へなんとなく解放されて、少しのびのびするように思う。

 世界に一人しかいないユニークな私たちであるが、そのユニークな一人は決して一人では生きていない。
好むと好まざるとに関わらずシステムの中、家族や友人、帰属集団(自分が通ったり所属している集団)という全体の中で、いわば関係にまみれて暮らしている。だから、一人の人間を理解するためには、その人を取り巻くシステム全体を見ることで、特定のその人の心や性格の問題という狭い視野から、システム全体の状態へと理解が広がり、様々な現象を全体的に捉えることができるようになるのである。自分自身に関しても同様のことが言える。自分にだけスポットライトを当て続けてもいつもの自分しか見えないが、自分を含む人間関係のシステム全体をながめることで、いつもと違う自分をその中に発見するかもしれない。


安定とは何か?

 「最近安定している」とか、「今日は少々不安定です」とか、安定という言葉は天気予報だけでなく心理状態を表す時にもよく使う。よく使うけれど、じゃあ安定している状態ってどういう状態?ってなると、深く追求する機会もないので説明しがたい。まあ多くの場合、安定してさえいればいいじゃんという感じで、それ以上のなんやかんやはめんどくさいところだろう。
 
 その一見めんどくさそうな「安定している状態」を、システムのまなざしでつらつら眺めてみると、さほどめんどくさくなくなる。以下、ありがちな愉快じゃない母娘の会話。

 母「いい加減部屋を片付けたら」
 娘「今やろうと思ったのに」
 母「言われる前にやりなさい」
 娘「あーもういいよ!」

 この後、娘はやる気をそがれ、部屋の片付けは、まず今日はしない、嫌な記憶が残っている明日も多分しない・・・。でもしばらくして、部屋の模様替えでもして心機一転したい気分になってくる。すると、同じ頃に母も言いたい気分がマックスになり、

 母「いい加減部屋を片付けたら」と言う。
 娘「今やろうと思ったのに」と返し、以下同文となり、これ(=このループ)が繰り返される。

 意外かもしれないが、これがこの母娘のこの件に関する「安定している状態」である。安定というとポジティブな印象を受けるが、ネガティブなループが繰り返されるのも安定であり、安定しているがゆえに変えにくく、繰り返されやすくなる。どうにかしたいと思うのは、明るい気分をそこねるネガティブな安定の方にちがいない。どうにかしたいと思いながら、慣れきったパターンの繰り返し、同じ振り出しにまた戻ってしまうのは、そうすることでそのシステムは、変化という未知との遭遇によるリスク(リスクばかりとは限らないのに)を負わずに済む、という安定を得ているからである。


がんばらない

 
システムの中で暮らしている私たちは、良くも悪くも自分が属するシステムの安定に寄与し、吸いよせられるように安定に戻ろうとする。そうやって安定へ向かう力は強く、その強く安定しているところを、例えば力づくで変えようとしても簡単には壊れてくれない。簡単に壊れないから安定しているわけで、最も骨折り損のくたびれもうけになりそうな部分なので、がんばらないほうがいい。
 
 じゃあ、がんばらないで変えるにはどうすればいいかというと、変えやすいところを見つけて簡単なことから変えてみることである。どのシステムにも変えやすい簡単なところがある。柔軟な薄い部分というか、あまりこだわりのない部分、システム内の誰の沽券にもさほど関わらないようなことである。先の例をつらつら眺めてみてほしい。


 母「いい加減部屋を片付けたら」
 娘「今やろうと思ったのに」
 母「言われる前にやりなさい」
 娘「あーもういいよ!」

 まず気をつけなければならないのは、一事が万事にせず、この件に関する共通項を取り出すことである。この場合の共通項は「自分で部屋を片付ける」ということである。これに関しては母娘で認識が一致している。早いか遅いか、いいか悪いか、という個人的な感覚はカッコ( )に入れる(なぜと問わずに共通しない部分はいじらないのでカッコに入れる)。以下共通項だけの会話の一例を示してみる。

 母「部屋のお片付けする?」
 娘「するよ」

 どうだろうか?互いにストレスのないシンプルなやりとりになった。これでお互いにエネルギーをもっと必要な事に注げるようになる。「お片付け」という言わば幼児語も母娘間では依存感情を満足させる甘くまったりした感じで、私は好きだ。なのに過干渉にならないのは「片付けする?」と相手に予定をたずねているからで、たずねられた方は主体的に自分の予定を答えるだけでよい。勿論予定によって答えは何通りもある。ちょっとロックなタイプの娘にしてみると、

 母「部屋の片付けする?」
 娘「う〜ん、明日以降」

 答えがどうあれ、自分で部屋を片付けることに関して一致しているのだから、あまりおおごとにしない態度も大切だと思う。考えてみれば既に解決しているも同然の事なのだから。
 無理してがんばって、ねじれ感情のループを直接どうにかしようとせずに、とりあえず感情や価値観がらみの
歩み寄れなさそうな内容は全部カッコに入れて、簡単でわかりやすい共通認識からたずね合いをすることで、いつもの負のループに戻ることが減るのではないかと思う。難しそうなところは保留して、ともかく簡単なことから、らく〜にやってみるのが疲れなくていい。





 
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